引っ込み思案で薄暗いところで本ばかり読んでいた幼稚園時代。
小学生の頃は背がチビッコだったことと、勉強しなくても成績が超よかったこと(自画自賛)
そのためか、なぜだかやたら「かわいい」と言われ、まわりからチヤホヤされる。
「モテモテじゃん♪」って勘違いしてた時代(汗)
将来、漫才師とプロゴルファーと私立探偵になると誓っていたのは、小学校6年生の卒業文集での話。
中学に入ると、学校から自分に合わないものを強要されるようになる。
詰め襟の学生服、丸坊主の髪型、運動部のみの部活動、理解不能な抽象的デザインセンスを押し付ける美術教師、鉄の棒を振り回す数学教師、そして運動が苦手なだけで(?)なぜか離れていったかつての友人たち。
1年生のときに知能指数138を記録(?)
当時の担任の先生から、「このまま行けば東大にも受かる」などと言われる。
そのためか、勉強をしなくても相変わらず成績はよかった。
くっぴー神童時代絶頂期(笑)
だから、嫌なことが多い日々の生活の中で、それだけを支えにしてなんとか自分を保っていた。
学校の成績がいいことが美徳とされていた当時の風潮の中では、そうやって生きていくことが十分可能だった。
帰宅部が許されてなかったので、3年生になって部活を引退できることにほっとした。
中学2年生の冬に出会った、アインシュタインの相対性理論に大いに興味を持つようになり、受験勉強をそっちのけで講談社ブルーバックスのシリーズを読み漁るようになる。
この当時、将来の夢は大学院の博士課程まで出て、宇宙物理学者になることだった。
美術教師とのセンスが合わなかったことと、写生大会などのときに妙に絡みよってくる変な友人のおかげで、今思えば意外なほどこの当時は美術的なものにはまったく関心がなかった。
高校入学後、演劇と出会うことによって人生と性格が徐々に変わり始める(笑)
演じる楽しさ、文章を書く楽しさ、物づくりの楽しさ、そして、それを通して人と本気で向き合うことの楽しさを知る。
成績がいいことなどではなく、自分が人と違うことこそがスバラシイことだとなんとなく感じるようになる。
部室の窓から向かいの職員室に向かって「鉄腕アトム」の替え歌(演歌バージョン)をよく歌う(大迷惑)
美術・音楽・書道から選ぶ選択授業も、もちろん選んだのは音楽。
モノ作りよりも、自ら演じてプロデュースすることに一番興味があったころ。
演劇においては、”役を演じる”という正統な路線を踏み外し、”自らのキャラクターを生かして演じること”に重きを置く作り方を目指す。
ちなみに、入部当時2年生の部員がいなく、進学校のため3年部員は夏で引退。
演劇を始めて4ヶ月の素人1年生4人で、まったくの一からの試行錯誤で演劇作りに励んだ。
その努力の甲斐あって、2年生の夏ごろにはオリジナルな手法を見出し、地区の中で人気を博す。
が、高校演劇離れしたそのスタイルは先生受けがあまりよくなく、県大会などに進んだことは一度もなし。
一方、学生の本業である学業の方はというと・・・
中学時代に学者を目指していたくっぴーはどこへやら。
学校の勉強というものにまったく意義を見出せなくなり、3年間の間に成績はだんだんと下降して行くも、なぜか「名古屋大学に行くんだ!」とダダをこねる。
ちなみに一番古くからの親友はこの時代からのつきあいだが、違う高校な上に二つ年下のしかも女の子だ。
同じ高校の友達、という付き合いがまったくない人って、もしかして珍しいのでは?
”人生で一番の親友は高校時代にできる”なんてことが言われたりするが、あれは社会にでてからワクワクした生き方を見失ってしまった人の言葉だと私は思う。
要するに、高校時代が一番純粋に趣味とか勉強とかに友達と一緒に取り組むからという意味が含まれているんだろう。
だが、私の場合は、当時よりも今のほうがよっぽどワクワクして勉強や趣味に生きている。
その証拠に、今の時代のほうがよっぽど親友ができる確率が高い。
それはさておき、成績があまりよくなかったくせに名古屋大学に行くんだ!と駄々をこねていたくっぴー。
ちなみに私の高校では当時70人程度が名古屋大学に進学していたため、実力テストでそのくらいの順位をキープするのが必須条件だったが・・・成績がよかった1年生のときならともかく、3年生になったときの順位はそれには及ばないことがほとんどだった。
そんなときに和田秀樹先生の著書、「受験は要領」に出会い、数学さえも暗記するという学習法に驚愕。
友達3人と和田秀樹信者となる。
なぜか奇跡的に合格してしまった名古屋大学工学部。
入学手続きの日に、高校の演劇部の先輩が所属するサークル劇団に入る。
これ以後、さまざまな社会人劇団とつきあうことにより、怒濤の演劇人生の渦の中に入り込んでいく(笑)
ちなみに芸名を名乗ってる友人が増えていったのもこの頃。
人の価値の多彩さ、学歴に依存することの無意味さを感じる。
と同時に、大学の勉強がちっとも楽しくなくなる。
3ヶ月の間に3本の芝居に出演したりと役者人生を謳歌(?)してたものこの頃。
もちろん、将来の夢は舞台俳優だった。
一般教養の単位が足りないまま4年間が過ぎ、大学にいられなくなり結局退学。
親からお金をもらうわけにもいかず、毎月21,000円の家賃を払うことさえ危ういスーパー貧乏時代の幕開け。
とにかく明日食べるためのお金にも困っていたため、しばらく給料週払いの肉体労働に手を染めていた頃。
生きるか死ぬか(!)の綱渡りをしながら、「こんなに貧乏だってなんとかなるじゃん」と思ったり、「でもこんな生活してたら芝居もやれないじゃん」とも思ったり、この先の生き方をそれなりに思い悩んでいた。
銭湯に行くお金もないので夜中にコッソリアパートの共同水栓で水浴びをしていたのもこの頃。
また、粗大ゴミの中から電化製品とかいろいろ拾ってきたりしたり、物が捨てられなくて6帖一間の部屋の中に、まさに足の踏み場がないほど物があふれていた頃でもある。そんな状態でも友達を呼べていた感覚が今考えると恐ろしい(汗)
後に、『押入の中を整理したら全部ゴミだった!』という伝説の逸話が残ってるのもこの頃のお話(笑)
そんなある日、くっぴーのすさんだ生活を見かねた当時付き合ってたお人(・・*)が、CADスクールの広告が載ってる新聞の切り抜きをもってきたことをきっかけにくっぴーの人生はすこしずつ変わっていくことになるのだが、それはさておき・・・。
とにかく普通の時間に普通に働く生活をしなければ芝居さえもやれないと思い、2ヶ月ぐらいなら家賃を払ってご飯を食べても死なない程度のお金(5〜6万円ぐらいかな?(笑))がたまった頃、製本工場でアルバイトをはじめる。
アルバイトとは言え、もともとの生活水準が異常に低かったくっぴーなので、例のCADスクールに通うお金ぐらいはすぐに捻出できるようになり、週に1回の通学をスタート。
ちなみにくっぴーは、この頃から最低限必要なお金以外をすべて自己投資につぎ込むようになる。
そしてこの癖はいまだに抜けないので、それから10年近くたった今でもくっぴーは勉強貧乏なままなのである(笑)
普通のバイトをするようになると夜の時間が普通に空くようになり、やっと芝居のことを真剣に考えられるようになる。
このあとの数年間に、20人以上の仲間に支えられて、くっぴーはプロデューサー・脚本・演出・舞台美術・宣伝美術・会計・役者・などの多くの仕事をこなしながら、名古屋演劇界にいまだかつてない常識破りでナンセンスな形態の舞台を打ち出していくこととなる。
同時期にコンピューターグラフィックの魅力にとりつかれたくっぴーは、雑誌で見た秋元きつね氏に感化されて、「CGアニメーター兼プロデューサーなんてのも面白いんじゃないか」と、はかない夢を見るようになる(笑)
ちなみにくっぴー、このプー時代の2〜3年間、国民年金はおろか国民健康保険料さえもまったく支払っておりません(笑)だってそんなの払って飢えて死んじゃったら意味ないじゃない(笑)
自分の劇団を運営しているのと同時期に、CADの技術をどんどん身につけていったくっぴーは、土木関係の設計のアルバイトをするようになり、その後に上下水道設計のコンサルタントに正社員として入社、社内のCAD使いリーダー(?)となる。
あまりに居心地がよかったことが災いして、くっぴーはここで4年間も、次の人生のことを考えずになんとなく過ごしてしまう。今でも当時の社員のみんなと付き合いがあるのはこの会社を置いて他にはない。
古い交友関係をどんどん切り捨てちゃうドライな人間関係が多い私にとって、非常に貴重な会社。
『転職したらまず次の転職のことを考えていた』というそれまでの生き方とは別人のような落ち着いた丸いサラリーマン生活を送っていたくっぴーだったが、27歳のときに突然インテリアに目覚めたことがきっかけで、人生が再び大きく変化していくこととなる。
たまたま会社の近くにヒューマンアカデミーがあったラッキーもあって、すぐにインテリアコーディネーターの養成講座に通い始めたくっぴー。
それからわずか半年の間に、図面描くこと以外はまったくど素人だったにもかかわらず、猛烈な勉強の甲斐あってインテリアコーディネーター資格を取得!
それから続けざまに、カラーコーディネーター、色彩検定、福祉住環境コーディネーター、照明コンサルタントなどの関連資格を取りあさるようになる。
そして、インテリアを勉強するようになったことがきっかけで、それまでゴミの中で生活していたようなくっぴーが、すっきりとしたシンプルな生き方に目覚める。
人生に目標を持つことによって実現する”シンプルな生き方”を実生活の中で体得していく。
また、小さい頃からアトピーに悩まされていた経験から、自然のものを使ったナチュラルライフにも目覚め、自然療法としてのアロマテラピーに興味を持つ。
最近では、香りが及ぼす心理的な効果に特に興味をもち、人が前向きな考え方をするためにうまく利用できないものかと研究(?)中。
現在、日本アロマテラピー協会認定アロマテラピーインストラクター資格保持。
そんなある日、本屋をふらふら歩いていたときに、ある本に目がとまる。
浅見帆帆子 著「あなたは絶対、運がいい!」
この本との出会いによって、急速に心理学や精神世界に傾倒していくこととなり、当時ネット上でも話題になっていた日本メンタルヘルス協会の門をたたくことになる。
そこで出会った衛藤信之先生をはじめとする諸先生方の教えのおかげで、前向きな生き方・考え方にさらに磨きをかけることになる。
現在特に興味があるのは色が人に与える心理・生理効果、そして香りが人に与える心理・生理効果、など。
また、これらを自己暗示力を向上させるために利用できないかと研究中。
いろいろたくらみ中(笑)